2025/07/24 17:49


以前のブログでは、私自身のストーリーをお話ししました。
今回は、母の死という大きな喪失と、その後に経験した父からの精神的暴力(DV)について。

そしてそこから、父を「許す」ことができるようになり、最終的には「感謝」の気持ちへと変わっていった、私自身の内側の変化について綴りたいと思います。

怒りと恐怖に支配されていた日々

母を亡くした後、父との生活がはじまりました。
ですがその時間は、決して安らげるものではありませんでした。父から受けた精神的な暴力は、子どもだった私の心に深く残り、その傷は大人になっても癒えることはありませんでした。

夜、夢に父が出てきては、私は叫びながら目を覚まし、目が覚めたあとも夢の内容を鮮明に覚えている――そんな朝を何度も迎えました。
怒りと恐怖が私の心を支配し、「許せない」という感情がずっと胸の中に居座っていました。

「許し」のきっかけは瞑想だった

そんな私の心に変化が起きたのは、「瞑想」と出会ってからでした。
静かに自分の内側を見つめる時間を持つことで、私は少しずつ、自分の感情に正直になり、受け入れていくことができるようになったのです。

そしてある日、瞑想の中で高次の存在とつながるような感覚がありました。
それは、言葉では説明できないけれど、温かく優しい光が癒してくれる感覚で、私はその存在に包まれるようにして、少しずつ過去の痛みを手放していきました。

父の立場から過去を見つめなおす

心に余裕ができるようになると、自分の視点だけでなく「父の立場」から過去の出来事を見ることができるようになりました。

完璧ではない、不器用な一人の人間としての父。
彼なりに必死に生きていたのかもしれない、愛し方がわからなかっただけかもしれない。
そう思えるようになって、少しずつ怒りの感情はやわらぎ、代わりに「理解」が生まれてきました。

そして、思い出したのです。
父が働いて生活を支えてくれたこと。食事を用意し、学校へ送り出してくれたこと。
当たり前すぎて見えなかったそのすべてに、今は感謝の気持ちを抱いています。

許しとは、自分のためにするもの

「許す」ということは、決して相手の行動を肯定することではありません。
過去をなかったことにするのでもありません。

でも、いつまでも怒りと恐怖に心を縛られているのは、自分自身を苦しめ、傷つけ続けることでもあります。
瞑想を通して、私は「許しは自分の心を自由にするためのもの」だということを学びました。

今の父との関係

今では、父との関係はとても穏やかで、ちょうどよい距離感の中で、良い関係を築けています。
心の中には感謝の気持ちがあり、大切な存在だと心から思えるようになりました。

最後に

父を許せるようになったのは、長い時間と心の深い旅路を経てのことでした。
でも今は、この経験が私にとって大きな学びと成長につながったと心から思えます。

「自分の視点」からだけでなく、「相手の立場」から物事を見ること。
そして、心に余白を持つこと。
それは、人生をより深く、豊かにしてくれる力になるのだと、私は実感しています。

もし、この記事を読んでくださっているあなたが、今誰かを「許せない」と感じているとしたら、無理に許す必要はありません。
でも、あなたの心が少しでも軽くなるように、自分を癒す時間を持ってみてください。
その先には、きっとあたたかな光が待っていると思います。

最後まで読んで頂きありがとうございました💎